
由緒:網敷天満宮・行衛天満宮、弐社に別れ共に西七条村に奉斎せられしを、 昭和九年合弁をなし現在地に鎮座したるものにして網敷天満宮に関する古記録によれば付近に高さ数十丈枝葉四方に繁茂し、 山の如く見ゆる榎あり世人榎の森と称したり、 この森の傍らに広大な菖蒲池あり四季を通し花絶えざる景勝の地たり、 乳母文子七条村より出て仕うを以て道真公には白太夫なる者を随えしばしばこの地に遊び、 この森を閑静の勝地と称し別荘を建て菖蒲池にて御舟遊あり里人の調進せし網を舟網として、 慰みあるいはこの寄船の網を円座としその上に座し詩歌を詠み給いしが里の童これを真似せしかば扨も優しき童なり、 それほど我を尊む事なれば我姿を残し置かむと網敷の御像を自ら描きその父子に与えたり、 後冤罪のため筑前に下らせ給いても帰洛の勅命なき身の京洛を思いて、 先に里人に与えし画像を形見となし榎の森に祀るべしと白太夫に命じて文子に告げらる文子小祠を建てんとせしも公を憚り為し得ず討ち過ぎたりしに或夜夢に 「この所に来も身を入るべき宿なし疑わすして我が住居を作るべし」と託宣ありついに一字を建立し榎寺と名づけ広大なる地域を有し霊験顕著なり。
祭神:菅原道真公(すがわらみちざねこう)
例祭日:
祭神:菅原道真公(すがわらみちざねこう)
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