日枝神社は修禅寺の鬼門に当り、弘法大師の建立と言われている。明治元年(1868年)の神仏分離令により分離されたもので、もとは修禅寺の山王社(鎮守)であった。毎年10月18日、19日には例祭が行われ、18日の前夜祭には神輿が練り歩き、威勢の良い掛け声が温泉場中に響き渡る。
境内には夫婦杉の大木や、静岡県指定天然記念物の一位樫などがそびえ立っている。一位樫は九州地方に生育する木で伊豆では珍しい。
また、源範頼が幽閉され住んでいたという信功院跡(庚申塔のみ現存)もある。※案内を転載
由緒:当社の創建年月不詳と雖も頗る旧社にして寛永十五年戌寅極月の上梁文に神像二体は弘法大師の手刻なりと、又享保十年十二月の上梁文に山王堂宝印と刻せる古き木板は僧空海の真書にして当社の神祇となりと記せり。征夷大将軍源頼家公蒲冠者三河守範頼卿当地に幽閉せらるるや深く尊崇し、しばしば社頭に参向せられ、社宝社領等の寄進状も有せり。今上陛下皇孫殿下に在せし折当地に行啓の節数回当社に御歩を進ませ給へり。又明治四十一年一月東宮殿下同年四月皇后陛下行啓の砌、畏くも玉歩を當社に遷させ給ひし光栄を有し、其の他幾多の大臣名士の参拝下されしは枚挙に暇あらず、又鎮守地辺りの名を神戸と称する等を以って考察する時、其の由緒最も遼遠なり。然し征夷大将軍源頼家公屢々参向せられて桂谷の紅葉を賞で禰宜に紅の姓を賜へり。沿革社歴に依れば当社往古頗る大社にして社殿宏壮境内幽なりしが、時運均しからず。間間悲哀ありしは免れざりし事にして中古より浮屠氏の間する所区なり、山王権現と称し当修善寺に於て伽藍神の如く為せるも明治維新後今の社号に改め、明治六年一位郷社に列せらる。※日枝神社畧記を転載
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)
例祭日:10月18日、19日
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