長い参道の左側がずっと畑な鴨田の八幡神社。鳥居から拝殿までに浅間神社や何か云われがありそうな『弁天』と説明のある沼とその傍らに石の祠があります。
由緒:『新編武蔵風土記稿』によると長禄二年(一四五八)太田道灌が河越城の鬼門鎮護のために勧請したといいます。鴨田村の鎮守として崇敬をあつめ、明治維新までは一乗院が別当をつとめました。
本殿は大型の一間社流造で、屋根はこれら葺、千鳥破風、軒唐破風を付けています。身舎は、組物に尾垂木付二手先、中備に蟇股をおき、小壁と板支輪に花木の彫刻を飾っています。妻飾は虹梁大瓶束笈形です。四方にまわした緑は三手先の組物で支え、縁下の小壁一面に波頭と花鳥の彫刻を飾ります。庇は几帳面取の角柱をたて、虹梁型頭貫でつないで木鼻を獅子と象とし、中央に竜の彫刻を飾ります。虹梁自体にも通常の線彫りではなく、牡丹の浮彫彫刻をほどこします。身舎と庇は海老虹粱でつなぎ、二重の手挟を配します。海老虹梁は簡単な渦の線彫をほどこすだけですが、対照的に手挟は手のこんだ花木の籠彫とします。ほかにも脇障子に花鳥、扉左右の脇壁に昇竜・降竜の彫刻を飾ります。このように彫刻は動物・植物・波紋などが主で、人物の例はなく、物語性もありません。このような点から考慮すると、川越市内に現存する江戸末期の江戸彫を用いた本殿と当本殿は一線を画し、それらに先行するものと思われます。史料的な裏づけを欠きますが、十八世紀後期の造営と考えられます。※案内を転載
祭神:
例祭日:
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