過去に火災により全焼してしまった事がある松崎町の伊那上神社。国道136号線(彫刻ライン)の曲がり角にあり、朱色で大きい鳥居が目立つので見落とす事はなさそうです。駐車場かどうかは分かりませんが、境内入口に車2〜3台分のスペースがあり轍もあったので停めさせてもらいました。
由緒:社傳に依れば當社は第五拾貳代嵯峨天皇弘仁八年(八一七)伊豫國越智郡三島より遷座したと傳えられ、また伊豆國國府三島より遷座したと傳えられる。
文治元年(一一八六)の文書に仁科荘那賀郷三島宮正中貳年(一三四六)の文書に三島大明神、慶長拾参年(一六〇八)時の金山奉行、兼伊豆代官大久保石見守が寄進した金燈籠には仲神社とほりこんである。昔は三島大明神、三島宮または仲神社といわれたのである。
承安参年(一一七三)源頼朝當社に参詣され社田を寄進したので其の後は将軍家の尊崇が厚く神領五百石を領し宮殿廣大荘厳、末社八拾有餘を有し西伊豆第一の大社であったが天正年間の大火に遭い時の社司金差義長四拾余社を再建して従来の大社の面目を保ったが續いて間もなく慶長年間に再び火災に遭い、壮麗の新宮殿、本社、拝殿、社寶、舊記、等一宇も餘さず全焼したがなお貳拾石の御朱印地を賜わって大社の面影を今も傳えている。
上宮とは慶長五年(一六〇〇)の神領附の古文書が最初である。
次に現在の伊那上宮という名の現存しているものでは正徳二年(一七一二)の棟札が最初で唯一神道祭官 従五位下 金指伊賀守義治が署名して豆州那賀郷大鎮守也といって従来の伊豆の五大社の面目を傳えている。※由緒を転載
祭神:積羽八重事代主神(つわやえことしろぬしのかみ)
例祭日:11月3日
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