箭幹八幡宮

我が子をたくましく育てる為に谷底に突き落とす獅子という言い伝えにあやかる『子育て獅子』があったり、御子守神社(鬼子母神)の末社があったりする箭幹八幡宮。

随身門
が随身門(ずいじんもん)。神社外郭の門で武官姿の随身像を左右に安置した門との事です。右手前には釣鐘。

狛犬の風化
犬の足元には小さい狛犬か何かが居たはずですが、すでに原型をとどめていない程に風化してしまっている。狛犬の頭頂部も。


3つの鈴緒と鈴
ラフルな両端の鈴緒は束ねられていて使えませんでした。鈴を振る事で当たってしまう彫刻部分は、一部破損していました。


子育て獅子
れは子育て獅子。獅子が我が子を谷底に突き落としてたくましく育てる事にあやかり、我が子に該当する干支を撫でて健全...

御子守神社
さい石造社だが、獅子守神社と板碑には書かれていた。真正面の随身門に見とれていると、見過ごしてしまうような場所にある。


参道
い参道の脇は公園になっていて、定番の子供用遊具がありました。さすが、子供関連の神社や獅子があるだけの事はある。




由緒:康平五年、源義家安倍氏を討ち、奥州より帰る途中、木曽に宿り、病にかかって毎夜悪鬼に責められる夢に見た、当社に祈願せしめられたところ、夢に神翁現れ、悪鬼を射倒すと見て病急ち快癒した、ここに於て本宮末社に至るまで尽く再興して神思に報いたと言い、この時屋根に羽矢を挿入し、又境内に矢竹繁茂ぜるを以て、箭幹八幡宮と名づけこの地を矢部と称したと伝う。
保元平治の乱に破れた源義賢は大蔵の館に拠り、これを迎撃した源義平は木曽仲三兼任、渋谷金王丸、鎌田正清等を率いて図師原付に於て会戦した。勝敗容易に決せず両軍乱戦死闘、義平の軍危うしと見えた時、突如老翁と童子が現れ、八幡宮の化身ならんと、神意を恐れ遂に社前に和睦を誓った。この時甲冑の根を埋めた所を根岸と名づけた。後小山田有重所領十七郷の総鎮守として尊信篤く、社地建造物の寄進も多く社参の道に今も鳥居坂の地名が残っている。
寛文五年、代官高木伊勢守大鐘を鋳て鐘楼に掛、後、代官簗田隠岐守亦社殿を再建して、領民と共に盛大な祭儀を挙行した。
明治に至り宮号は廃止されたが、戦後再び古名を復した。
祭神の神徳広大、学問、産業、災厄防除の守護神として広く尊信されている。
祭神:応神天皇(おうじんてんのう)、配祀・神功皇后(じんぐうこうごう)
例祭日:九月十五日



ご近所神社:常磐町・日枝神社|下小山田町・小山田神社|木曽町・秋葉神社|上小山田町・神明神社|小山町・日枝神社

町田市の有名神社:

参拝した中でお薦め
大國魂神社東京都府中市):東京五社の1社。例大祭のくらやみ祭りが有名で、毎年大勢の参拝者で賑わう。摂末社類が多くある。
石室神社静岡県南伊豆町):断崖絶壁に建立され、参拝するには上り坂を含め20分程歩かなければなりません。着いたら絶景です。
仙波東照宮埼玉県川越市):日本三大東照宮の1つとも言われます。日光東照宮に比べれば規模は小さいが、なかなか立派です。